壷阪寺(西国三十三ヶ所観音霊場めぐり 第六番札所)
  高取町大字壷坂に所在し、正式名称は(山号、院号、寺号)壺阪山平等王院南法華寺(つぼさかさん、びょうどうおういん、みなみほっけじ)です。宗派は真言宗豊山派(ぶざんは)で、本尊は十一面千手観世音菩薩立像です。
詳しくは、「壷阪寺のホームページ」を観てください。
  「http://www.tsubosaka1300.or.jp/」
観音信仰
  観音とは、観音の音は人々の願いの声の音で、そしてそれを観る、すなわち、その願いの本質を見きわめて救済するという意味です。観音菩薩の功徳が説かれている「観音経」には、どんな災難があっても観音力を信じ一心に念ずれば、必ず救済されると説かれています。そして、その姿が母親のように女性的であるのは、仏の慈悲を表しているからです。このように除災招福(じょさいしょうふく)のありがたさと、母親のようなやさしい姿のため、観音信仰は古くから今日まで多くの人々に信仰されています。
  8、9世紀の観音信仰は、国家鎮護を願う現世利益(げんせりやく)中心の信仰でした。10世紀ころを境として律令国家の衰退と藤原摂関政治体制成立にともない、旧秩序解体の不安の下で、貴族の間に来世における個人の救済を志向する浄土教が発展するにつれ、観音信仰も来世信仰としての性格を帯びるようになりました。こうした来世信仰は、まず菅原道真・源兼明など藤原氏に疎外された10世紀の没落貴族を中心に形成され、観音信仰に発展し、10世紀中頃から貴族社会で流行し始めました。こうして観音は現来二世の利益絶大な菩薩として貴族社会に広く信奉され、霊験ある観音像を本尊とする寺院への参詣もさかんにりました。9世紀中頃に、霊験あらたかなため官寺(かんじ)となった壷阪寺や長谷寺をはじめ、10世紀末には、石山・清水・粉河寺(こかわ)など霊験あると伝える観音を本尊とする観音寺院への参詣が盛んになりました。さらに各霊場を結ぶ修験的な聖(ひじり)の巡礼も始まって、いわゆる三十三所(さんじゅうさんしょ)巡礼へと発展しました。
  この三十三所巡礼は、平安貴族の霊場詣でと修験者の諸国霊場巡礼の風潮のもとで、平安末期の12世紀頃成立したものです。西国三十三所巡礼の創始者は、園城寺の僧覚忠(かくちゅう)で、1161年熊野那智から御室戸(みむろと)まで観音霊場三十三所を巡礼したのが、始まりです。
  11世紀中頃、釈迦入滅後二千年、仏による救済が行われないという末法思想が貴族の間に広まり、時あたかも疫病がはやり、盗賊や海賊が跋扈(ばっこ)し、僧兵がのさばる世相に、貴族たちは末法の到来を実感しました。現世で栄華を一人欲しいままにしていた関白藤原頼道も、死後の世界が仏による救済が行われないことを案じ、自らの来世の極楽往生を願って、宇治に平等院鳳凰堂を創建しました。現世が極楽である貴族たちが、来世も極楽往生を願い、寺院の建立や三十三所観音霊場巡礼を行っていました。農民たちは、律令体制の下で、米や布などを作りその収穫の殆どを税金として納め、また寺院や道路建設などに使役され、ボロボロになって死んでいくだけのモノでしかありませんでした。毎日毎日腹を空かしながら働くロボットであり、現世や来世のことなどを考える知恵もゆとりもありませんでした。古代は(飛鳥・奈良・平安時代)、一握りの貴族の栄華を支えるため、多数のもの言わぬ農民たちが搾取し続けられた時代でもありました。
  鎌倉時代には、西国巡礼にならった坂東三十三所巡礼が始まり、さらに15世紀には秩父三十三所巡礼が成立しました。16世紀には秩父札所が三十四に改めることで西国・坂東との一体性を強調した結果、西国・坂東・秩父のいわゆる百所巡礼も始まりました。
  江戸時代になり商人や農民など一般大衆もこの観音霊場巡礼に参画し、全国各地に三十三所巡礼が形成され100余に及びました。こうした各地の三十三所巡礼は、一般大衆の来世における極楽往生の願いやレクリエーションとして観音信仰の民衆的底辺を拡大し、その伝統は今日に続いています。

西国三十三ヶ所めぐりについては、
 詳しくは、「西国三十三ヶ所めぐり」のホームページ」を観てください。
   「http://www.y-morimoto.com/saigoku/saigoku100.html」
【用語解説】諸仏・諸尊
  仏・・・仏は諸経典を通して出現しました。法華経の「釈迦如来」、薬師経の「薬師如来」、阿弥陀経の「阿弥陀如来」、華厳経の「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」、大日経の「大日如来」などです。如来は仏と同義語です。

  菩薩・・・菩薩は仏の境地に到達しながらも、この世にとどまり衆生しゅじょう、命あるもの)を救済するため慈悲の手を差し伸べる仏で、無仏の時代に衆生を救済する「地蔵菩薩」、仏の智慧を象徴する「文殊菩薩」、慈悲を体現する「観音菩薩」、慈悲の心を象徴する「普賢菩薩(ふげん)」未来の救世主「弥勒菩薩(みろく)」などです。

  天
(天部、てんぶ・・・天はその大部分がインドの民衆の間で信仰されていた神々で、仏教に導入され守護神となった異教の神々です。代表的諸天としては、四天王北方を守る多聞天たもんてん南方を守る増長天ぞうじょうてん東方を守る持国天じこくてん西方を守る広目天こうもくてん)、帝釈天たいしゃくてん、仏法を護る神)毘沙門天びしゃもんてん、四天王の一つの多聞天が独立した場合の名称)吉祥天きちじょうてん、毘沙門天の妃で衆生に福徳を与える神)夜叉やしゃ、仏法護持の神)阿修羅あしゅら、仏法の守護神)梵天ぼんてん、仏法を護る神)聖天しょうてん、仏教守護の神)などです。

  明王
・・・明王は密教において説かれた諸尊で、救い難い衆生を救済するため、忿怒(ふんぬ)の相を顕(あらわ)しています。わが国で最も親しまれているのが、不動明王ふどうみょうおう、大日如来が一切の悪魔を降伏させるために忿怒の相を顕しています)です。他に孔雀明王くじゃくみょうおう、衆生を救う徳を孔雀によってあらわす仏の化身)愛染明王あいぜんみょうおう、衆生の愛欲煩悩がそのまま悟りであることをあらわす明王)などが知られています。